現代社会は合理化への圧力でいっぱいだと思う。
まず始まりはビジネス界。
売上高を上げ、コストを下げ、そして利益を上げるという非常に明確な目標が存在しているため、合理化への圧力は免れ得ない。
より効率的に、素早く目標に到達することが求められている。
さらに今では、それが学界や官界までにも波及しようとしている。
学界では、これまでは研究そのものに重点が置かれてきた。
しかし、近年ではその研究の意義等に対する説明の方が強く求められるようになってきている。
「この研究やって何になんの?」
「こんなにカネかける意味ある研究なの?」
これらの問いに答えることは、現代の研究者が避けては通れない道だと思う。もはや過去みたいに、ひたすら「なぜ?」という純粋な疑問に答えていくような、純粋な研究はできない。
無駄な、というか無駄と思われる研究は次々と淘汰されつつある。
官界も同様。
国家公務員改革、政府系金融機関改革、特別会計改革、独立行政法人改革、国の資産・債務改革etc...
無駄はカットされる。
他にも、政界やなんやらもそうだろう。
とにかく現代の国民意識は、無駄を許さない。
学界や官界におけるこの流れは、おそらくビジネス界における合理化の波から来たものだろう。
しかし、合理化・効率化には、”明確な目標が必要”だということが見落とされてはないだろうか。
ビジネス界では、売り上げを上げて、コストを下げて、利益を上げるという非常に明瞭な目標があるから良いかもしれない。
しかしながら、研究や政治に明瞭な目標が果たしてあるのだろうか。こう考えてみると、それらは今はまだはっきりとしていない。
明瞭な目標があって始めて、合理化・効率化が意味を持つのではないだろうか。現状は、良くあることだが、言葉が独り歩きしている状態だ。
ビジネス界以外の分野で合理化や効率化を論じるときは、それらの組織が何を目標とするかを、まず熟考せねばならないのだ。
ここで、合理化の起源を少し考えてみたい。
それはおそらく、産業革命以降なのではないだろうか。
もちろん狩猟や農業の時代から、それに似たような概念があっただろうことは容易に想像がつく。しかしそのような時代には、徹底的に合理化を引き起こすインセンティブが欠けていた。獲物はお腹がいっぱいになる量あれば良いし、農作物にしてもせいぜい一国の主となれる程度の生産量があれば良い。
しかし、産業革命以降は明らかに違う。
利益、すなわちおカネという人間の無限の欲求を刺激しうるインセンティブが登場したことで、はじめて、今言われている”合理化”なるものが登場したのだと思われる。
”合理化”は利益の追求から生まれた。こう考えると、私たちがなんとなく「合理化・効率化=コストカット」とイメージを持ってしまっているのも納得できるのではないか。
さて、先ほど、ビジネス界以外で合理化を考える際には、その目標を熟考することが必要だと述べた。
これは、合理化=コストカット=利益の追求という現状の考え方からの脱却を促すものだ。従来、合理化の目標は利益の追求だった。それらの関係を、ひとまず完全に切り離して考えるようにし、合理化を、利益の追求以外の新たな目標とリンクさせるようにするわけだ。
すなわち、利益の追求という考え方から生まれた”合理化”という便利な概念を、一つの独立したものとしてみなし、様々な場面に応用していこうというわけだ。
”合理化”は、現代社会の豊かさを作り上げたことからも分かるように、非常に大きな力を秘めている。これを上手く操ることができれば、たいていの目標は達成されるのではないだろうか。
結局大切なのは、”明確な目標”、そして”合理化・効率化”。
しかし、ここで言っている”合理化・効率化”というのは、今現在一般的に使われているそれらとは、大きく意味を異にしている。別にスピードがあればいいわけでもない。資源の使用量が少なければいいわけでもない。
目標が達成されれば良いのだ。
これからの時代、この二つについてどれだけ徹底的に考えられるかが、鍵になってくるのだと思う。
これまでは、豊かになることが大抵の人々の目標だった。
人々は、「豊かになるという目標」と「その為の方法(=合理化・効率化)」に関してはものすごい勢いで知識を深め、蓄積してきた。
しかし少なくともわが国においては、ほとんどその目標は達成されてしまった。上記以外の”目標”と”その為の方法(≠合理化・効率化)”に関してはあまりにも知識が無さ過ぎることをしっかりと自覚しておくべきだろう。
目標の設定と、その為の方法。
これらに関しては、考えても考えても考えても、足りないように思う。
(少なくとも、言葉ばかりが独り歩きしているような現状は、非常にもったいない。合理化・効率化こそが、今目標にすべき目標に対して無駄を生んでいる可能性は大いにあると思うし。)
この意味不明な長文、今日の研究室の飲み会で考えてた(笑)
総じて自明なことをつらつらと述べているようだが、『当たり前のことを証明し、結果として残すことが研究だ。』と教授がおっしゃっていたので、これもまた良し、、、としよう。。