■今日は久々に学校へ
授業では微分方程式がどうたらとかいってて、さっぱりわからず、寝てしまった。
授業無視で自分の勉強をしようと試みるけれど、ついつい授業の方に気が行ってしまい、全くわからず寝てしまうというパターン。
不毛すぎる。
■勉強勉強
帰る途中に近所のモスバーガーでいつも通り勉強。
飽きたら帰って勉強。バックミュージックはMILES DAVIS。
ふとテレビをつけると、代行運転事業の世界に飛び込んだ若者のドキュメンタリーがあっていた。週4で夜中8時間働き、月給が10万程度とのこと。
この手の番組は良くあっているから、いつもなら「ふーん」で終わる。
しかし、最近小学校の時の友達と会った時に、一日17時間働いて月給15万という話を聞いたこともあって、見入ってしまった。
色々と理由はあるのだろうが、ちょっとなぁ、と思ってしまう。
■上記のことから
企業というのは結局のところ、株主の扱う「道具」に過ぎないのではなかろうか。
利益、価値を生むための「道具」。多くの場合は前者であるが。
そこには本来、「従業員の為に」という意識も、「社会貢献」という意識も、「顧客のために」という意識も、存在し得ない。
たとえそれらを標榜する企業があったとしても、それは、利益につながるから。
それだけの理由だ。
「顧客のために」という理念を掲げる会社は数多くあるが、それも、そうしていれば利益が生まれるからに過ぎない。
少し前に流行っていた、年功序列、終身雇用も、そうしていれば利益が生まれるから。
最近流行のCSRも、そうしていれば利益が生まれ、株価も上がるから。
環境が変化してしまえば、そんな制度も意識も吹っ飛ぶ。
全ては株主の思うがままに変化する。
全てのステークスホルダーは、それに振り回されるのみ。
このようなことが、一部では確実に起こっていると考えられる。
特に上場企業や、大企業では。
なぜなら、上場企業や大企業では、複数株主による所有が当たり前で、彼らの目的が「利益の追求」以外で一致することが考えにくいからだ。例えば、一人の株主が全てのステークスホルダーを重視するような、倫理観のある人だったとしても、それが全ての株主の見解として一致することはないだろう。
(中小企業や未上場企業では、これはあまり当てはまらないかもしれない。倫理観ある創業者が100%の株主であれば、このようなことは問題にならない。)
極論のように思われるかもしれないが、これが本質であるような気がする。
このように考えると、大企業で働くということは、そんなに安易で楽な道でもないだろう。
企業という道具の一部として、一つの歯車として、働いていく覚悟を持たねばなるまい。
残念ながら、まだまだ終身雇用の名残がある今の日本では、そんな意識が芽生えようもないけれど。
と、こんなことを考えてしまった。せっかく勉強してたのに(笑)
長いのに読んでくれた人、ありがとう。
最近は夜にならないと集中できないから困ったもんだ。
今日はこのまま朝まで頑張ります。