こんばんは。
今日は久しぶりに一日暇だったので、ごろごろだらだらしてました。
最近何してるかっていうと、「卒論のための実験の準備」と「自分が今興味を持っていること」との間で葛藤しています。両立っていうか葛藤。
「理系での研究は、論理力や数学力を養い、たとえ将来畑違いの職業に就くことになった際にも役立つ。」
とは良く言われることで、自分もそう信じているわけですが、やはりこれは結果論的なものでしかないような気がしてます。
コンサルや金融業界には理系の院生が多く、また、理系出身の経営者も増えつつある昨今では、この命題の正しさは容易に確認できます。
しかし、将来の畑違いの職業に生かすために、打算的に理系で研究をしている人を自分はほとんど知りません。もしそういう人がいたとしても、その人にとって、この命題が第一義的なものであることは考えにくいと思われます。
ここで、文転を視野に入れながら今研究に取り組んでいる自分についてみてみると、研究に対してあまり気が乗らないというのが正直なところです。そもそも、興味が他にあるからこそ、文転するというわけなので。
これらのことを考えると、上記の命題は、確かに正しいとは思われるものの、研究へのインセンティブとして有効に機能するものではないようなのです。
それゆえ、結果論的なものと言ったわけです。
以上、どういうことかと言うと、「今研究に打ち込むことで、将来の役に立つよ!」という自分への動機付けは、有効性を持たないということです。
これまで、この言葉は自分にとっての第一義的な、研究に対するインセンティブとして働くものだと思っていました。それゆえに、今の自分に対してこの動機付けが上手く働いてくれないというのは、なかなか困った事態です。
何で困るかと言うと、別に卒業できないからとかそういうわけじゃありません。どうせ締め切りが近づき、必要に迫られると必死になってやりだして、結局卒業はできるであろうことが、これまでの経験から明らかであるからです。
問題は、この命題によるインセンティブが機能しないことで、自分の将来に役立つチャンスを逃してしまう可能性があるということです。すなわち、”理系での経験を将来に生かせなく”なってしまう可能性があるということです。
思えば、これは誰もが小さい頃から付き合ってきた問題であるともいえそうです。
「今勉強しておけば、将来絶対役に立つから!」
この言葉に、聞き覚えはないでしょうか。誰もが一度は、親や教師から言われたことのありそうなフレーズです。この言葉が、子供たちにとって有効なインセンティブとして機能しないことは、明らかでしょう。他方、この言葉が結果論的には正しいことも、世間的に了解されていることかと思います。
また、今よく言われる、「今やってる仕事が自分の将来のためになるとは思えない」と言って会社を辞めてしまう若い社会人に関しても、同じことが言えそうです。
しかし、この子供のケースや、若い社会人のケースについては、彼らが「今勉強をして将来に役立つ」、「今この仕事をして将来に役立つ」という言葉に疑いを持っているからこそ、勉強や仕事に背を向けるものだと考えられます。
一方、自分の場合、「理系での研究は、論理力や数学力を養い、たとえ将来畑違いの職業に就くことになった際にも役立つ」、ということは確信しているわけです。
それにも関わらず、その言葉がインセンティブとして機能しない。
とすると、これは、自分の未熟さ(我慢強さが足りない、飽きっぽいなど)ゆえに生まれてくる問題のような気もしてきます。しかし、「他に、今、強く興味を引かれるものがある」という要因も大きくあるわけです。
”今”と”将来”のバランスをどう取るか、という問題も絡まっていそうです。
とは言っても、結局、「葛藤」が「両立」に変われば申し分ないわけです。
どうやら、何とかシステマチックに「両立」を実現できる方法を考えていかねばならないようです。
こんなこと書く予定ではなかったのですが、手が勝手に動いてしまいました。
相変わらず元気にやってます!
今日は久しぶりに一日暇だったので、ごろごろだらだらしてました。
最近何してるかっていうと、「卒論のための実験の準備」と「自分が今興味を持っていること」との間で葛藤しています。両立っていうか葛藤。
「理系での研究は、論理力や数学力を養い、たとえ将来畑違いの職業に就くことになった際にも役立つ。」
とは良く言われることで、自分もそう信じているわけですが、やはりこれは結果論的なものでしかないような気がしてます。
コンサルや金融業界には理系の院生が多く、また、理系出身の経営者も増えつつある昨今では、この命題の正しさは容易に確認できます。
しかし、将来の畑違いの職業に生かすために、打算的に理系で研究をしている人を自分はほとんど知りません。もしそういう人がいたとしても、その人にとって、この命題が第一義的なものであることは考えにくいと思われます。
ここで、文転を視野に入れながら今研究に取り組んでいる自分についてみてみると、研究に対してあまり気が乗らないというのが正直なところです。そもそも、興味が他にあるからこそ、文転するというわけなので。
これらのことを考えると、上記の命題は、確かに正しいとは思われるものの、研究へのインセンティブとして有効に機能するものではないようなのです。
それゆえ、結果論的なものと言ったわけです。
以上、どういうことかと言うと、「今研究に打ち込むことで、将来の役に立つよ!」という自分への動機付けは、有効性を持たないということです。
これまで、この言葉は自分にとっての第一義的な、研究に対するインセンティブとして働くものだと思っていました。それゆえに、今の自分に対してこの動機付けが上手く働いてくれないというのは、なかなか困った事態です。
何で困るかと言うと、別に卒業できないからとかそういうわけじゃありません。どうせ締め切りが近づき、必要に迫られると必死になってやりだして、結局卒業はできるであろうことが、これまでの経験から明らかであるからです。
問題は、この命題によるインセンティブが機能しないことで、自分の将来に役立つチャンスを逃してしまう可能性があるということです。すなわち、”理系での経験を将来に生かせなく”なってしまう可能性があるということです。
思えば、これは誰もが小さい頃から付き合ってきた問題であるともいえそうです。
「今勉強しておけば、将来絶対役に立つから!」
この言葉に、聞き覚えはないでしょうか。誰もが一度は、親や教師から言われたことのありそうなフレーズです。この言葉が、子供たちにとって有効なインセンティブとして機能しないことは、明らかでしょう。他方、この言葉が結果論的には正しいことも、世間的に了解されていることかと思います。
また、今よく言われる、「今やってる仕事が自分の将来のためになるとは思えない」と言って会社を辞めてしまう若い社会人に関しても、同じことが言えそうです。
しかし、この子供のケースや、若い社会人のケースについては、彼らが「今勉強をして将来に役立つ」、「今この仕事をして将来に役立つ」という言葉に疑いを持っているからこそ、勉強や仕事に背を向けるものだと考えられます。
一方、自分の場合、「理系での研究は、論理力や数学力を養い、たとえ将来畑違いの職業に就くことになった際にも役立つ」、ということは確信しているわけです。
それにも関わらず、その言葉がインセンティブとして機能しない。
とすると、これは、自分の未熟さ(我慢強さが足りない、飽きっぽいなど)ゆえに生まれてくる問題のような気もしてきます。しかし、「他に、今、強く興味を引かれるものがある」という要因も大きくあるわけです。
”今”と”将来”のバランスをどう取るか、という問題も絡まっていそうです。
とは言っても、結局、「葛藤」が「両立」に変われば申し分ないわけです。
どうやら、何とかシステマチックに「両立」を実現できる方法を考えていかねばならないようです。
こんなこと書く予定ではなかったのですが、手が勝手に動いてしまいました。
相変わらず元気にやってます!
# by ytaisuke | 2007-11-17 22:02 | Days










